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大阪地方裁判所岸和田支部 事件番号不詳 判決

主文

被告人山内誠巍を懲役拾月に

被告川西清一、同大杉一義を各懲役八月に処する。

但し被告人川西清一、同大杉一義に対し、何れも弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人藤田忠勝に支給した分は被告人山内の負担とし、爾余の証人に支給した分は全部被告人等三名の連帯負担とする。

理由

被告人川西清一は昭和二十四年二月頃から昭和二十六年六月退職する迄大阪府泉北郡忠岡町役場の工営課長をしていたもの、被告人山内誠巍、同大杉一義は何れも忠岡町会議員をしているものであるが

第一、被告人等三名共謀の上、

一、昭和二十五年四月頃被告人川西清一が土木建築請負業阪和工業株式会社社長松本延太郎より、コンクリート土管製造場所の賃貸斡旋方を依頼されるや被告人等三名共同で、忠岡町所在大津川堤外民有地を松本に売却斡旋して利益を得ようと企て、同人に対し、堤外民有地を買えば、制造場所に使用する外、砂利を採取し得る利便もあるから賃借でなくて買受けて呉れと勧めた結果、その頃堀内清太郎所有に係る大阪府泉北郡忠岡町忠岡一五八四番地の一大津川左岸高水敷内所在山林堤外民有地一反七畝二十五歩を代金六万五千円で買受けた上、これを松本延太郎に転売するに際し、右大津川堤外民有地の土砂等は大阪府知事の許可なくして採掘することが出来ず、何等その許可を受けていないのに拘らず、既に右採掘について大阪府河川課係官より諒解を得ている旨、恰も口頭で許可を受けているものの如く虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信せしめ、右土地を土管製造場所に供する外、砂利を採取し得ることを主たる理由として、代金二十万円で買受けることを承諾せしめ、因て同人から忠岡町役場に於て掘鑿権付土地売買代金名下に、同月下旬頃金十万円、次いで登記終了後同年五月四日頃残金十万円、合計二十万円を受取り、以てこれを騙取し

二、昭和二十五年七月中旬頃前記松本延太郎より更に砂利採取場所を物色中であることを聞くや、被告人等三名共同で、川野繁蔵所有に係る忠岡町忠岡一五八七番地の一大津川左岸高水敷内所在雑種地堤外民有地四反六畝二十五歩を代金十五万円で買受けた上これを松本延太郎に転売することとし、前同様提外民有地の土砂等は大阪府知事の許可なくして採掘することが出来ず、何等その許可を受けていないのに拘らず、松本に対し、既に右採掘について、大阪府河川課係官より諒解を得ている旨恰も口頭で許可を受けているものの如く虚構の事実を申し向け同人をしてその旨誤信せしめ、因て同人より忠岡町役場に於て、右掘鑿権付土地売買代金名下にその頃金十万円を、次いで登記終了後同月二十二日頃吉岡要蔵を介して金二十万円、合計三十万円を交付させて、これを騙取し、

第二、被告人大杉一義は、昭和二十六年二月十四日頃、自己所有に係る忠岡町忠岡一五八六番地の三大津左岸高水敷内所在山林堤外民有地一反三畝四歩の砂利掘鑿権を砂利採取販売業前川由松に譲渡するに際し、当時既に所轄鳳土木出張所係員等より、知事の許可なくして堤外民有地の砂利を採掘することが出来ないことにつき注意を受けた関係上、これを知悉して居り、而もその許可を受けていないのに拘らず、その情を秘し、既に許可済で自由に採掘出来るものの如く装い、同人をしてその旨誤信せしめ、因て同月十五日頃忠岡町忠岡一三三六番地の被告人方自宅に於て、同人より右土地掘鑿権売買代金等名下に合計金十二万円を交付せしめてこれを騙取し

第三、被告人山内誠巍は

一、昭和二十六年三月七日大阪府知事より大阪府泉北郡忠岡町楯並橋下流約三百米の大津川、川床の砂利、砂、栗石合計十坪の払下許可を受け、所謂大阪府鳳土木出張所に於て、所定の手続を経て採取鑑札の下附を受け、採取期間を昭和二十六年三月十七日より同月二十八日迄と指定せられたところ、右指定の採取期間前には採取することが出来ないのに拘らず、砂利採取人夫頭藤田忠勝に指示して採取期間前の三月八日頃より同月十六日頃迄の間に砂利、砂、栗石各一坪三合位合計約三坪九合を不法に採取し、以てこれを窃取し

二、その後前記採取鑑札に依り指定の採取期間の昭和二十六年三月十七日より同月二十八日迄の間砂利、栗石等を採取したところ、採取期間経過後は許可はその効力を失い、爾後改めて払下の許可を受け、採取鑑札の下附を受けた後でなければ採取することが出来ないのに拘らず、人夫頭藤田忠勝をして引続き採取せしめ、前記採取期間経過後の昭和二十六年三月二十九日頃より同年四月二十八日頃迄の間に砂利約五坪九合、砂約四坪三合、栗石約一合、合計約十坪三合を不法に採取し以てこれを窃取し

たものである。

判示第一、第二の詐欺事実の証拠(省略)

被告人等の弁解に対する判断

第一、被告人等及び弁護人等は大津川左岸堤外民有地の土砂を採掘するには大阪府知事の許可を要しない旨主張するから、この点について仔細に検討する。

一、河川の堤外民有地の所有権も河川法その他の法令により一定の制限を受ける場合があることは民法第二百六条第二百七条の規定に徴し明らかで、河川法第十九条によれば、河川の敷地の現状等に影響を及ぼす虞のある工事営業その他の行為は命令を以てこれを禁止若しくは制限し、又は地方行政庁の許可を受けしめることを得る旨規定せられ、同条は河川法準用令第二条により準用河川に準用されているところ、右河川法第十九条河川法施行規程第十四条に基き発せられた明治三十五年大阪府令第四十六号改正昭和三年大阪府令第五十六号「河川敷地内土石砂利及生産物取締規程」によれば、河川法を施行し又は河川法に規定した事項を準用せし河川敷地内の土石砂利等を採取せんとするものは大阪府知事の許可を受けることを要する旨規定されて居り、本件係争の大津川左岸堤外民有地は準用河川たる大津川の河川敷地内の土地であると認められるから、右土地の土砂を採掘するには大阪府知事の許可を要するものと解する。

二、而して本件係争の大阪府泉北郡忠岡町忠岡一五八四番地の一、一五八七番地の一及び一五八六番地の三所在の土地が大津川の河川敷地であると認むべき根拠は次の通りである。

1、本件土地は民有地であるが、河川法第三条と河川法準用令第二条とを対比すれば、施行河川の敷地は私権の目的とすることを得ないのに反し、準用河川の敷地については、私権の目的となすことを禁止されていないから、準用河川の敷地中には民有地も存在し得るものと解すべきである。

従つて河川法準用令第二条により河川法第十七条乃至第十九条が準用河川に準用される場合に於ては、同条規定の河川敷地中には民有地も含まれ、前示大阪府令中の準用河川の河川敷地中にも同様民有地を含んでいるものと解すべきである。

2、本件堤外民有地が大津川河川敷地であるか否かは、その土地が河川の区域内に存するか否かによつて定まるところであるが、前掲大阪府河川課係官の証言によれば、大阪府下に於ては従来大津川その他の準用河川について、その河川の区域認定を明示していないものである。

而して準用河川の区域の認定については河川法その他附属法令中に何等規定するところがなく、即ち河川法第二条は準用河川に準用されていないのみならず、河川法施行規程第二条第三条、河川法準用令第一条は何れも河川の縦の区域又は沿岸沿堤、河川附近地の区域の認定に関する規定で、準用河川の横の区域の認定手続については何等の規定が存しないものである。

然るにこの点について、明治三十三年一月十三日山梨県知事宛土木局長回答「河川区域の認定に関する件」として、「河川の区域は従来河川として取扱を為し、行為の上に於てその意思を表明せるものは、殊更に認定の告示を為さざるもその効力を生ずべしと雖も、認定のため或る特定の土地に対し所有権の消滅に帰するが如きもの、又は法第二条第二項に依る区域変更の如きは、これを表示するに非ざれば効力を生ずるものと云うを得ず」とあり、爾来この回答は河川主管当局に於て施行河川及び準用河川の区域認定の準則として取扱われて来ていることは、前掲大阪府河川課係官内山健造、鳥丸忠志及び建設省河川局担当係員落合利夫、吉兼二郎、宮前憲三等の証言によつて明らかである。

而して前記の如く準用河川の横の区域認定について何等規定の存しない点から、考察すれば、河川の区域の認定は河川の区域を創設するものでなく、事実上河川の区域を確認する行為であり、事実上河川の区域は社会通念上客観的に存在しているのが常態であるから、施行河川の場合と異り私権の存在を認めている準用河川の場合に於ては、必ずしも明示的に区域の認定表示をしなくとも、従来の事実上の河川の区域をその侭準用河川の区域として河川取締上の制限を受けしめるも妨げない法意であると解し得られ、従つて前示土木局長の回答は何等法令の明文に牴触しないのみならず、従来河川取締当局に於て永年に亘り慣行されているこの準則は、河川の区域認定に関する手続規定の空白を補充するものとして有効な法的効力を有するものと謂わねばならぬ。

従つて所謂普通河川を準用河川に認定する場合に於ては河川敷地の所有権の消滅を来さないのであるから、従来河川として取扱われ、且つ河川管理者及び附近住民も一般に河川として認めている区域については、殊更に準用河川の区域認定を明示しなくとも、河川法準用の告示と共に河川の区域として効力を発生するものと解すべきである。

従つて河川台帳を作成しなければ、区域認定の意思を表明したものと云えないとの弁護人の主張は採用し難い。

3、これを本件堤外民有地について見るに、

(イ) 本件土地附近一帯は左右に高き一丈余の大津川堤防が築造されて居り、本件土地は大津川左岸堤防と流水の間に存する所謂高水敷(又は洪水敷)で、荒地であり、その地形上普通人の常識を以てすれば容易に河川の区域であると認め得られる地域である。

(ロ) 忠岡町役場保管の「耕宅実地取調」と題する帳簿によれば、「大津村立会、大津川上板原大津境より下浜迄川敷反別、宇多大津村と明治十二年十一月十九日立会の上取調方左の通り、忠岡村字宮出より大津村中道迄川幅百間、但し両堤敷を除く他現在堤際より附寄洲は川敷に組入」等の記載があり、本件土地附近が忠岡村字宮出に該当し、その対岸が大津村中道に該当することは、忠岡町長泉大津市長各作成の「字等の照会について」と題する回答書により明らかで、又検証の結果によれば、本件土地附近の左右堤防間の幅が約百間位あることが認められる。

而して証人内山健造の証言によれば、右耕宅実地取調簿は当時の土地台帳に該当し、当時河川管理者たる忠岡村、大津村当局に於て、堤防の際から高水敷たる堤外地を河川敷地に組入れ、換言すれば、河川の区域に認定したものと認むべきで、結局本件土地附近の高水敷たる堤外地は従来大津川の河川敷地として取扱われて来ていることが認められる。

(ハ) 忠岡町保管の明治十七年八月水害当時の荒地全図と題する地図及び証人和田博介(当六十一歳)の当公廷に於ける供述、証人安明晃正(七十一歳)、川崎政実(七十歳)の検察官に対する供述調書即ち忠岡町居住の古老の証言によれば、大津川は多年雨期に洪水があり、その流域の大津村、忠岡村は往々にして水禍に見舞われていたものであるが、先づ大津村側は同村居住の府会議員横山勝三郎の運動の結果、府費を以て北岸(大津村側)堤防の改修工事を実施したため南北両堤防の幅員及び高低の差が著しくなつていたところ、明治三十一年頃大洪水により南岸(忠岡村側)堤防決潰し、その後忠岡村長和田辰三及助役安明晃正等に於て大阪府河川係員に運動して、同様府費を以て南岸堤防の補強工事を実施し、爾来七、八年継続事業として牛滝川と槇尾川との合流点附近から、海口に至る迄、現在の如き形態の堤防を完成したもので、右築堤に当つては、高水敷たる堤外民有地の土砂を採取して築堤に充て、当時各土地所有者はこれに何等の異議もなく、進んで右工事に協力した事実を認め得られる。

斯る場合に於ては河川管理者たる地方行政庁及び附近住民一般も河川の区域であることを認めて、いるものと云うことが出来る。

(ニ) 以上の事実によれば、本件堤外民有地附近一帯は従来地形上からも、はた又取扱上に於ても、河川の区域であること明らかな区域で、前示土木局長の回答の趣旨に徴し、大津川が準用河川に認定された際、殊更に河川の区域認定を明示しなくとも、従来の河川区域がその侭準用河川の区域として効力を発生したものと解すべきである。

現に大阪府に於ては、前示土木局長の回答の趣旨に基き、大津川その他の準用河川については、明示的に区域の認定をしていなかつたものであることは大阪府河川課係官の証言するところである。

三、なお弁護人は本件土地は明治二十一年当時の官有地台帳に官有地として登載されて居り、従つて明治十二年頃河川敷地に組入れられた当時は官有地であつたが、その後民有地になつたのであるから、右土地については河川敷地たることを廃止せられたものと認むべき旨主張するから考察するに、本件土地附近一帯の堤外地に対する登記簿によれば、明治二十年頃から明治二十四、五年頃或は明治三十一年頃に売買又は相続に因る土地所有権移転登記の記載があるから、大体その頃民有地になつたものと認められるが、前記忠岡町役場保管の当時の土地台帳と認められる耕宅実地取調簿には、明治十二年以来、明治十五年、明治三十年、明治三十三年七月頃迄の記載があるけれども、その間さきに河川敷地に組入れた土地につき河川敷地を廃止したこと、或は川幅を変更したことを窺うに足る何等の記憶がない。一方前示認定の如く明治三十一年頃から七、八年継続事業として堤防の補強工事を実施した際、堤外民有地の所有者も進んで協力し、堤外民有地の士砂を以て築堤に充て、河川管理者たる忠岡村及び右堤外民有地の所有者等が河川区域たることを表明しているものと認め得られるのみならず、河川法施行以前に於ては民有地も河川敷地として認められていたことが窺われるから、単に官有地が民有地になつた事を以て、直ちに河川敷地たることを廃止したものと速断すべきでない。

四、又被告人山内及び弁護人は大津川堤防は河川の附属物として認定されていないから堤防と謂うことが出来ず、従つて本件係争地は堤外地でない旨主張する。

然し明治三十四年六月十三日大阪府告示第百四十九号「河川の附属物と認定の件」として、「河川法に規定したる事項を準用せし河川の堤防は内務大臣の認可を受け河川法第四条第二項により河川の附属物と認定す」と規定せられ、従つて明治三十四年五月大阪府告示第百二十一号により準用河川となつた河川のみならず、その後大正六年九月大阪府告示第百九十七号により準用河川となつた大津川等の堤防についても、前示大阪府告示第百四十九号に基き、河川の附属物となつたものと認め得られる。

尤もその後大正七年八月二十日発第一一三号各地方長官宛土木局長通牒「河川法準用河川の附属物及び河川附近の土地の区域認定に関する件」の通達後に於ては、右通牒所定の表示方式に則つて告示しているもので、なお大津川と同時に準用河川となつた猪名川については、その後堤防の改修をなし位置変更及び廃堤部分を生じた関係上大正十五年四月改めて前記所定の方式に則り附属物の認定告示をなしたものであることは、証人内山健造の当公廷に於ける供述より認められる。

然るに被告人等は右大阪府告示第百四十九号中「河川法に規定したる事項を準用せし河川の堤防」とあり、準用せしとは過去に於て準用せられたることを意味するから、右告示のあつた明治三十四年六月十三日以前に準用河川になつた河川のみに適用さるべきで、その後大正六年に準用河川になつた大津川等には適用すべきでないと主張するけれども右告示中「河川法に規定したる事項を準用せし河川の堤防」とは単に準用河川の堤防の意味を表示するものと解すべきで、右告示以前に準用河川になつた河川のみを対象としているものでないと解する。

このことは前掲の明治三十五年大阪府令第四十六号第一条に、「河川法を施行し又は河川に規定したる事項を準用せし河川敷地内の土石……を採取せんとする者は大阪府知事の許可を受くることを要す」と規定せられて居り、右は換言すれば施行河川及び準用河川敷地云々の意味であつて、決して大阪府令施行の明治三十五年四月以前に施行河川又は準用河川となつた河川のみを対象としているものでなく、大正六年大津川等が準用河川になつた場合は、その準用河川についても直ちにこの大阪府令第四十六号の適用を受けるものと解すべきと同断である。

要するに準用河川になつた後に初めて右大阪府令又は大阪府告示の適用を受けるものであるから、準用せし河川云々と規定されているものと解する。若し過去形に表示してあるものは凡てその法令施行以前に行政行為のあつた分のみを指すものとすれば、例えば、河川法第一条「この法律に於て河川と称するは主務大臣に於て公共の利害上重大の関係ありと認定したる河川を謂う」との規定を如何に解釈するや理解に苦しむところである。よつて被告人等の右主張は採用しない。

第二、次に被告人山内は本件土地売買に先立ち、大阪府河川課に於て平塚河川課長代理片山、小林両技師に面接の上、大津川左岸堤外民有地の砂利採堀の許可の件について尋ねたところ、平塚片山両氏は判らないと云い、最後に小林技師より堤外民有地の砂利採堀については許可を要しない旨いはれたのでこれを信用したもので従つて詐欺の犯意はなかつた旨弁解するからこの点について仔細に検討するに、

一、証人平塚定雄、片山信雄、小林正三、種田鉄馬の当公廷における各供述を綜合すれば被告人山内が大阪府河川課係官と面接し大津川左岸堤外民有地の砂利採堀について尋ねた際、同係官より山内に対し、口頭で許可する旨申したこと、又は小林技師より許可を要しないと告げた事実は到底認められないのみならず、却つて片山技師より、もつと正確な図面を作つて所轄鳳土木出張所へ行つて相談して手続されたがよいと指示した事実を認め得られる。

二、而して小林技師も証言される如く、同人は従来技術鑑査係で許可事項を担当する係でないのみならず堤外民有地の砂利採堀についても終始許可を要するものと解して居り、且つ許可については願書を提出して審査するものと思つているのであるから山内に対し、自己の所管外の事項について、口頭で許可を与えたり、若しくは許可の内諾を与えたり、又は許可を要しない旨指示したものとは、常識上到底考え得られないところである。

三、又平塚氏も証言する如く、同人は堤外民有地の掘鑿について許可を要するものと解しているのであるから、当時河川課長代理の職にある人として、山内に対して許可を要するかどうかが判らないと申したものは到底首肯し難いところである。

四、なおこの点について最も公平な第三者の立場にあると認められる種田鉄馬氏(大阪府会副議長)は、「昭和二十五年春頃山内が副議長室に訪ねて来て、大津川の砂利採取と山をけづるについて許可を貰いたいが、所管の河川課に頼んで呉れと依頼され、平塚河川課長に電話で山内を紹介した、数日後電話で平塚氏に聞いたところ、何んとか便宜を図る旨申していた、その後山内からその事について何も聞いていない」旨証言しているが、右証言と被告人等の警察官及び検察官に対する供述調書中山内が河川課を訪ねた動機に関する部分とを対照すれば、被告人等は大津川堤外民有地の砂利採掘については大阪府知事の許可を要するものと考え、実際上許可の見込があるかどうかを尋ね、許可の見込があれば許可して貰う為河川課係官に面接して依頼したもので、決して許可を要するかどうかが判らないためそれを尋ねに行つたものでもなく、況んや許可を要しないと思つてそれを確めに行つたものでないこと明らかであり、従つて当時平塚課長代理や片山技師等との間に、許可を要するかどうかの点が論議の対象になり、而も同人等が許可を要するか否か判らない等と答えたものとは首肯し難いところである。

殊に前記の如く数日後平塚氏が種田に聞かれて何んとか便宜を図る旨答えていることは、当然許可を要することを前提としての応答と認むべきで、この点から考えるも、山内の弁解する如く、平塚、片山、小林三名同席の上小林技師より許可を要しないと指示した如き事実がなかつた一端が窺われる。

五、更に大杉一義の司法警察員に対する供述調書によれば、昭和二十五年十二月頃山内は大杉と共同で大杉所有の堤外民有地の砂利採掘中、鳳土木出張所員より堤外民有地砂利採掘については許可を要する旨指示され、大杉に話して採取願を提出させ、又その後右士地の採掘権を前川由松に譲渡するに際し、同様大杉に対し採掘の許可を受けねばならぬことを注意していることが認められる。

又その頃山内は松本に売つた土地についても、同様鳳土木出張所員より許可の有無を問われ、結局許可を要する旨云われたのであるが、その後大阪府河川課平塚、片山、小林等に面接して許可を要しない点を反問し、或はその不信を詰問した如き事跡は全然認め難い。

若し真実に山内の主張する如く、本庁係官より許可を要しない旨指示せられたものならば、当公廷に於ける言動により窺われる山内の強烈な性格から考えれば、些か奇異の観がある。

又証人生瀬隆夫、藤林楠一の当公廷に於ける供述により明らかな如く、被告人山内はその後大津川官有砂利の払下を受けた際、採取期間経過後採取することができないのに拘らず、府会議員藤林楠一に依頼し、鳳土木出張所係員に対し期間の延長許可方を依頼し、単に考えて置くと云う程度の返事で、別に何等の諒解も得た訳でもなく、固より正式の許可もないのに引続き砂利を採取し、恰も係官の諒解を得た如く主張している事実に徴するも、本件の場合に於ても単に河川課係官に面接して依頼した事実を以て一応の諒解を得たものの如く誇張しているものとも認め得られる。

六、以上諸般の状況より考察するも、河川課係官より山内に対し、許可を要しない旨指示し、又口頭で許可の内諾を与えたものとは到底認め難く、従つて斯る指示を受けたことを前提とする被告人等の弁解は到底採用し難い。

七、仮りに被告人山内の供述自体によるも、平塚、片山両氏は判らないと云い、小林技師が許可を要しないと云つた等当時の状況自体極めて不明確不確実な印象を受けるのみならず、川西清一は忠岡町役場工営課長の職務上、予て堤外民有地の砂利を採掘するには許可を要するものと思つて居り、役場備付の法規を調査するも許可を要する旨規定されているのを見て、山内にその旨告げていたものであることは、同人の司法警察員に対する供述調書の記載により認め得られるところで此等の状況より考えるも、許可を要しないものと信ずべき正当の理由もなく、従つて山内は固より、川西、大杉としても、不確実な半信半疑の程度で思つていたものと認めるを相当とする。

八、一方松本延太郎は当公廷に於て、川西清一及山内誠巍より既に大阪府河川課係官より砂利採掘について諒解を得ている旨恰も口頭で許可を得ているように云われこれを信用して本件土地を買つたものと証言している。

なお鳳土木出張所員生瀬隆夫の当公廷に於ける供述により認められる如く、松本が昭和二十五年秋頃生瀬技師より砂利採掘の許可の有無を問われた際、さきに本庁の方で内諾を得ている旨答え、又その頃山内も同様に申したので、一応正式な願書を出して許可を受けるよう指示し、結局松本より大阪府知事宛砂利採取願を提出しているのであるが、若し当時松本及び山内が本庁係官より確実に許可を要しない旨指示されている旨答えたならば、本庁河川課の意見を尊重すべき立場にある土木出張所員としては、恐らく本庁に対しそのことを問合せるべき筋合であるが、別に本庁に問合せることもなく、松本に正式に採取許可願を提出するよう指示して提出させた点から考えれば、松本としては、山内等より許可を要しないと云われたのでなく、単に口頭で許可を得ているように云われてこれを信用していたものと認めるに足る。

而して松本延太郎の証言によれば、同人は若し許可があれば採掘出来ないものならば、納期の接迫している関係上間に合わないから本件土地を買わなかつたものと認められるから、結局被告人等は何等正式の許可を受けていないのは勿論、口頭で許可を受け或は許可を要しないと云われた事実もないのに、河川課係官より諒解を受けて居る旨恰も口頭で許可を受けた如く虚構の事実を申し、(或は第二次的に不明確なのに拘らず確実のものの如く申詐り)松本をしてその旨誤信させたものと認めるに足り、詐欺の罪責を免れることができない。

なお判示第二の被告人大杉の犯行については、当時鳳土木出張所員等より許可を要する旨注意され、これを知悉し乍ら判示の如くその情を秘し譲渡したことは、同被告人の司法警察員に対する供述調書により明らかである。

判示第三の窃盗事実の証拠(省略)

被告人の弁解に対する判断

一、被告人山内は本件砂利採取は藤田忠勝が責任者であつて自分は殆んどこれに関与していない旨、弁解するけれども、前掲挙示の証拠によれば、藤田忠勝は山内のため砂利採取の現場人夫頭として雇われ、人夫二三人を使役して砂利採取の労務に従事していたもので、山内は右藤田に対し採取鑑札を受けない採取期間前に採取するよう指示し、又採取期間経過後もすぐ許可を貰つて来るから堀つて居てくれ、責任は自分がもつ等と申して、採取することを承認していたもの、その採取の日時数量等も人夫頭より逐一報告を受けており又時折採取現場にも赴いているものであるから、被告人は判示の如く採取期間前又は採取期間経過後採取していることは、熟知しているところで、結局被告人自身砂利採取の労務に従事しないだけで、人夫頭及人夫を使役して採取させているものであること極めて明白である。

二、又被告人山内は窃盗の犯意がない旨弁解するけれども、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書によれば、被告人は第一回目の砂利採取につき、三月七日頃払下代金を納付し乍ら鳳土木出張所員に対し鑑札の日時を先に延ばして貰いたいと依頼し結局採取期間を三月十七日より三月二十八日迄と指定して貰つたもので、右採取期間前の三月八日頃より三月十六日頃迄採取すると共に、指定の採取期間たる三月十七日から三月二十八日迄は採取鑑札に基き砂利を採取しているものであるから、右採取期間前に採取した分は正規の払下分とは別個のもので、当初から不法に採取する意思があつたものと認めるを相当とし、固よりこの分については払下代金を納付していないものである。

又前掲挙示の各証拠によれば、第一回目採取期間中に第二回目の払下許可願を提出しているか、四月二十六日頃に至り四月十九日附許可指令を受取り、五月七日頃払下代金を納付し、五月十日過頃採取鑑札の下附を受け、採取期間を五月十二日より五月十八日迄と指定せられ、右採取鑑札に基き指定採取期間中採取していることが認められる。

従つて判示第三の二記載の三月十七日頃から四月二十八日頃迄の砂利採取は、第一回目の払下分とは別個のものであると共に第二回目の払下分とも別個のものと認むべき、而も三月十七日から四月十八日頃迄の分は全然許可の指令すらない以前の犯行であり、爾後の分も未だ許可指令を受取らない前或は払下代金納付前の犯行で、凡て採取すべき何等正当の理由のないもので、当局の意思に反して不法に採取したものである。

この点について、被告人山内は鳳土木出張所生瀬技師等に採取期間前に又採取期間経過後採取することの諒解を得ていた旨弁解するけれども、証人生瀬隆夫(第二回)、藤林楠一の当公廷に於ける供述によるも、被告人山内は府会議員藤林楠一を介して採取期間延長について生瀬技師に依頼した際、同人より考えておくと云う程度の返事があつたに止り、何等採取期間経過後に採取することの諒解を得たものとは到底認め難いのみならず、元来土木出張所員としては、単に払下許可申請書に意見を附し大阪府知事(大阪府河川課)に具申するだけで、自ら許可する権限がなく、又採取期間の延長を認める何等の権限のないことは被告人も熟知するところであり、従つて未だ正式に許可のないのに採取することを黙認し、或は採取条件に違反して採取することを黙認するが如きは、職務違反の所為であること自明の理であるから、被告人の弁解自体、下級係員と結托して不法に砂利を採取することを意味するもので、何等窃盗の犯意を阻却すべき事由とはならない。

三、次に被告人山内及び弁護人等は、本件砂利採取の行為は河川敷地内土石砂利及生産物取締規程第一条第三条に該当するもので、特別法は普通法に優先して適用すべきであるから、右規則により処断すべく、刑法の窃盗罪を以て律すべきでない旨主張する。然し右規則は河川法第十九条に基き発せられた取締規則で、河川法第十九条所定の如く、専ら河川の方向、清潔、幅員、深浅又は敷地の現状等に影響を及ぼす虞ある行為としての砂利採取を取締の対象としているもので、財産権の侵害に対する取締を直接の対象としているものでないと解する。このことは準用河川の敷地内に存する民有地の所有者が自己の所有地の砂利を許可なくして採取した場合、右規則に違反するも窃盗罪を構成しないことによつても明らかである。

従つて両者はその被害法益を異にするもので、右規則に違反するからとて窃盗罪の適用を排除すべきものでないと解する。

四、更に弁護人は窃盗罪を構成するとしても砂利約十坪の払下代金は僅に四五百円程度のもので、今日の経済状態に於ては被害軽微であり、違法性を阻却する旨主張するけれども、たとえ砂利払下代金四五百円程度のものとしても財物として認められない程の被害軽微のものと認め難いのみならず、被告人の窃取に係る砂利は合計約十坪余で、オート三輪車百数十台分に上り、寧ろ多量と云つて過言でなく、且つ業者間に於ては相当高価に売買されている実情であるから、弁護人の右主張は到底採用し難い。

本件犯行に関する実情

本件詐欺及窃盗の態様そのものは必ずしも重いものとはいえないけれども、本件土地売渡に因る掘鑿の結果堤防に及ぼす影響について重視しなければならない。

即ち被告人等は大津川の高水敷である堤外民有地を砂利採取を目的とする松本延太郎に売渡し又はその掘鑿権を前川由松に譲渡した結果、松本延太郎はその買受けた忠岡町字忠岡一五八七番地の一所在の土地を掘鑿して砂利を採取し、警察より中止を命ぜられる迄に約千坪の面積に亘り最深部は一丈余も掘り下げ、約五十坪位の砂利を採掘し、若し中止を命ぜられなければ、千五百坪の面積に亘り川床の深さと同じ深さ迄堀り下げ、総計二百坪位の砂利を採掘する予定であつた事は同人の当公廷に於て供述するところで、又前川由松も同様相当掘鑿しているものである。

而して大阪府水防計画別冊附図によれば、大津川は国鉄阪和線鉄橋附近より海口迄を重水防区域とし、就中本件掘鑿現場附近一帯は特に重要な区域として指定せられているものであるが、斯る重要水防区域に属する高水敷を堤防に接近して相当広範囲に亘り深く掘鑿し、その地形を著しく変更したもので、或は洪水の場合、高水敷に冠水し又は低水護岸が突破されて掘鑿個所に奔流が侵入して土砂を巻き込み、堤防の根を洗堀して堤防決潰に到らしめる虞なきを保し難い。(松本延太郎名義の大津川筋堤民有地内土砂採取願添付の技師荒川末次作成の復命書参照)。

而して被告人等が当初より斯る大規模の掘鑿をする事情を知悉の上売渡したものであることは、本件取引の経緯に徴し明らかで、而も当局から掘鑿の諒解を得ている如く装つて売渡したものであるから、右掘鑿に対する刑事上の責任は凡て被告人等に於て負うべきである。

而も大津川は、さきに認定した通り、過去幾度か洪水により堤防決潰して水害を及ぼし、住民多年の労苦の結果、現状の如き堤防を築いた事情を考えれば、万一の場合、父祖積年の労苦を一朝にして水泡に帰せしめる虞ある事態を発生せしめた責任は重大であると云わねばならぬ。

尤も現在に於ては、河川取締当局より松本延太郎等に指示して、右掘鑿個所の中低水護岸寄りの部分を一部理めて張芝を施す等、応急的措置を講じてある。

然るに被告人山内は右犯行につき、主導的役割を演じて居るにも拘らず、終始責任を回避し、前記の如く万一の場合公共の危険を生ぜしめる事態を発生せしめたことにつき、何等の責任を感ずるの風なく、却つて掘鑿の中止を命じた警察官の職務行為を非難攻撃し、はては自己の犯行を合法化するため、常識上何人も認めて異議のなかるべき大津川堤防を目して、堤防に非ずして忠岡町道であると誣い、従つて本件係争地は単なる民有地でその掘鑿は自由であるが如く強弁し何等反省の色のないことは甚だ遺憾とするところである。

なお被告人山内は被告人等の外にも同様大津川左岸堤外民有地の掘鑿権を売却したものが数名居るに拘らず、これ等の者を起訴しないのは公正を欠く旨抗弁するけれども固より河川敷地の現状を変更したことにつき、河川取締法規に違反するとしても、果して、詐欺等の刑法犯に触れるか否かは各個別に事情を異にするものであり、且つ当局より注意を受け乍らなお且つ山内の如く無反省な言動に出でた者が外にあつたであろうか。

次に被告人川西清一は本件事犯の責任を感じ、忠岡町役場工営課長の職を辞職して謹慎の意を表して居り、又被告人大杉一義は判示第二記載の前川由松に譲渡した分につき、その後当局より採掘の中止を命ぜられ且つ応急復旧工事を命ぜられた為生じた損害を賠償して示談しているもので、右両名については山内に比しその犯情軽いものと認められる。

適条

よつて

被告人山内誠巍に対し

刑法第二百四十六条第一項、第六十条(判示第一の一、二の各所為)、第二百三十五条(判示第三の一及第三の所為は夫々包括一罪と認める)、第四十五条前段第四十七条第十条(判示第一の二の罪を最も犯情重いと認める)

刑事訴訟法第百八十一条第一項第百八十二条

被告人川西清一、同大杉一義に対し、

刑法第二百四十六条第一項共謀の分には第六十条、第四十五条前段第四十七条第十条(何れも判示第一の二の罪を最も犯情重いと認める)、刑法第二十五条

刑事訴訟法第百八十二条

を適用の上夫々主文の通り判決する。(昭和二七年七月七日大阪地方裁判所岸和田支部)

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